彼らを

聖書: ルカによる福音書 23章 26節~34節

2018年11月25日(日): 降誕前第5主日礼拝、謝恩日礼拝説教

 「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが/イエスに従った(23:27)」。民衆は、十字架の主イエスを罵ります。婦人たちは、十字架の主イエスを嘆きます。「人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った(23:34)」。ローマの兵士たちは、十字架の主イエスに無関心です。「父よ、『彼らを』お赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(23:34)」。人の痛みに無関心になるとき、わたしたちも彼らのようではないでしょうか。
 十字架の主イエスは、振り向いて言われます。「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け(23:28)」。破滅を前にして、自らの罪と子どもたちの未来を思って泣きなさい。神の怒りの炎を前にして、『枯れた木(=罪のわたし)』など一溜まりもありません。顧みて、「父よ、『わたしたちを』お赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(23:34)」と祈るほかありません。
 「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた(23:26)」。罵声を浴びながら歩くのは、とてもつらいことです。シモンにしてみれば、ただの災難です。ただこの人は、その声を一身に受け止めておられるようでした。「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました(Ⅰペトロ2:24)」。ここに、愛があります。
 この愛に、今日を赦されています。にも関わらず、わたしたちは、人の痛みにどこか無関心で、環境破壊もまるで他人事のようです。わたしたちは、子どもたちにどんな未来を残すのでしょうか。顧みて、「父よ、『わたしを』お赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(23:34)」と祈るほかありません。この祈りを、自らに受け止めていきたいと願います。