王たるメシア

聖書:ルカによる福音書 23章 1節~3節、 13節~16節

2018年10月28日(日): 降誕前第9主日礼拝、収穫感謝礼拝説教

 「全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った(23:1)」。この男は、死罪に値すると訴えるためです。総督(=王たる者)として、ピラトには、この人を死刑にする権限がありました。そこで、人々は、この男をローマに反逆する政治犯に仕立て上げました。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました(23:2)」。実に都合のよい嘘です。
 ピラトは、一度本人に確かめてみたいと思いました。「お前がユダヤ人の王なのか(23:3)」。すると、意外な答えが返ってきました。「それは、あなたが言っていることです(23:3)」。あなたは、わたしを何と呼ぶのか。そこで、ピラトは、彼らに尋ねました。「わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった(23:14)」。「だから、鞭で懲らしめて釈放しよう(23:16)」。
 総督(=王たる者)として、ピラトには、この人を釈放する権限がありました。それは、この人の自由を認め、この人の生きる権利を保障することにほかなりません。ただ結果として、ピラトは、この人を保釈することができませんでした。人々が、この男を十字架につけろと執拗に叫び続けたからです。こうして、苦しみの十字架が立てられることになりました。ただ真実として、この人の十字架によって、わたしたちは赦されることになりました。
 王たるメシアが、わたしたちを罪の縄目から釈放してくださったのです。これは、王の威厳に関わることです。こうして、わたしたちは、日毎に赦されてここにあります。これ以上の恵みはありません。わたしたちも、今日の感謝の日に、王たるメシアに伏して感謝したい。