信徒の証し3

聖書: テサロニケの信徒への手紙一 5章 16節~22節

2018年10月21日(日): 聖霊降臨節第23主日礼拝立証

 教会での生活を振り返って、私が思うのは、「洗礼を二度受けた」ということです。
 一度目の洗礼は1993年6月6日で、塩見牧師先生に式を執り行ってもらいました。私が、洗礼受ける決心をしたのは、妻の言葉でした。それは「同じ信仰でない人とは一緒にいられない」の一言でした。
 受洗後ずっと気がかりだったのは、そんな意志薄弱な理由で洗礼を受けたことです。竹前牧師にこれでいいのかどうかお尋ねしたことがありました。すると先生は、「一番いいきっかけじゃないですか。うらやましいですね」と褒めてくださいました。その日から、受洗のきっかけは人それぞれでいいと思うことにしています。
 二度目の洗礼と私が思っている出来事は、2001年の原因不明のまま子どもを亡くすという経験でした。何も答えてくれない神様と対話することが煩わしくなり、教会に背を向けるようになりました。
 そんな私が教会に戻るきっかけは2年前の2016年の8月、東京での押川沢江先生との再会でした。その夜、私は教会に背を向けていた自分を許してもらって、教会の一員に再び加えてもらいたいと強く思いました。この8月の体験は、私に神様の人知を超えた「働き」を教えていただいた出来事でした。
 教会に久しぶりに行ったその日、竹前牧師先生はじめ教会員の皆さんが暖かく迎えて下さり、「ああ、帰ってきたんだ」と神様に心から感謝しました。
 遠藤周作氏は作品の中で「神とは自分の中にある働き」で「私の人生において非常に関係の深い人々を通してという形で働いてくれました」と言っています。私は、この言葉の意味を実感することができました。
 私は、今に至るまでにたくさんの人との関係を通じて、「働き」に導かれて今にここに立っていると思います。今後、私のつとめは、その事に日々感謝し、身近な人々と係わっていくことではないかと思います。(証し:植田拓治兄)