執り成し

聖書: 出エジプト記 32章 7節~14節

2018年9月30日(日): 聖霊降臨節第20主日礼拝説教

 本日、日向福島教会との交換講壇は、台風最接近のために取り止めとなりました。この嵐の中にあって、各教会の礼拝と、各家庭での礼拝が、主によって守られますように。
 神は、モーセに仰せになりました。「民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて(32:7-8)」しまった。麓の人々は、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏して、「これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ(32:8)」と叫んでいました。不平不満だらけの人々をここまで導かれたのは、神ご自身です。この仕打ちに、神は、どれほど心を痛めたことでしょうか。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である(32:9)」。
 『かたくな』とは、言うことを聞かない馬や牛に使われる言葉です。かたくなな民は、モーセの帰りを待つことができませんでした(32:1参照)。かたくなな民は、金の子牛の像を祀って目に見えるものに頼ろうとしました。「わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている(32:10)」。神の痛みの深さと、人の罪の深さを感じます。神と人との関係は、もはや修復不可能と思われました。しかし、モーセが執り成して祈ります。
 神の計画と名誉に訴えて祈り(32:11-12参照)、神の約束に立ち返って思い直されるように訴えました(32:13参照)。神も、この約束に立って、彼らに対する災いを思い直してくださいました(32:14参照)。ここに、神の愛の深さを感じます。神と人との関係は、この愛の深さに執り成されています。わたしたちは、その確かさに頼りたいと祈ります。この愛を「離れてはあなたがたは何もできないからである(ヨハネ15:5)」。