御心のままに

聖書: ルカによる福音書 22章 39節~46節

2018年9月16日(日): 聖霊降臨節第18主日礼拝説教

 当時は、両手を挙げて立って祈るのが普通でした。伏して祈るのは、尋常なことではありません(22:41参照)。また、収穫したオリーブの実から油を搾り取る作業場のことを、『ゲツセマネ』と言います。「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた(22:44)」。まさに、搾り取られるような祈りの姿です。
 主イエスは、祈ります。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください(22:42)」。『父よ』とは、親しい呼びかけです。それだけ、親しく祈りなさい。弟子たちに、最後に願われたことも、「誘惑に陥らないように祈りなさい(22:40)」ということでした。しかし、「彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた(22:45)」。わたしたちも、悲しくて祈ることができなくなりました。
 それでも、主イエスは、弱い弟子たちを、「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい(22:46)」と励ましてくださいました。また、弱いわたしたちのために、「お赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(23:34)」と祈ってくださいました。この励ましと祈りなくして、わたしたちの今日を語ることはできません。だから、目を覚まして祈りなさい。
 主イエスは、祈ります。「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください(22:42)」。この祈りは、母マリアの祈りに通じます。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように(1:38)」。自らの力と知恵にのみ頼るとき、わたしたちは、必ず行き詰まります。すべてを主に任せて。この祈りが、わたしたちを力づけてくれます。