良い機会を

聖書: ルカによる福音書 22章 1節~6節

2018年7月29日(日): 聖霊降臨節第11主日礼拝説教

 「祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた(22:2)」。彼らは、ローマ総督が都に滞在する祭りのときを狙っていました。主イエスをローマに引き渡して、十字架にかけて殺そうと考えていたからです。ただ、「彼らは民衆を恐れて(22:2)」手を出せずにいました。かと言って、夜のうちに捕らえるためには、その行動をよく知る内通者の存在が不可欠でした。
 そのとき、ユダが、「祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた(22:4)」。ここから物語は、十字架へと一気に加速してきます。22章には、十字架へと向かう一夜の出来事が記されています。ユダは、夜の暗闇の中を「群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた(22:6)」。それは、祈りのときでした。とても、皮肉なことです。
 そんなユダを十二人の弟子に選ぶときにも、主イエスは、「神に祈って夜を明かされ(6:12)」ました。こうして、祈られていることを忘れるとき、その心の隙間にサタンが入り込んできます。「十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った(22:3)」。人を神の約束から遠く引き離すことが、サタンのただ一つの目的です。お前なんて愛されるはずもない、そんな約束など信じるだけ損だよ。ここに、サタンの囁きがあります。
 サタンのしつこさを侮ってはなりません。だから、『主よ、御手もて、ひかせたまえ(讃美歌529)』と、日毎祈るばかりです。孤独な夜にあっても、どれだけ祈られているのか、どれだけ愛されているのか、そのことを真に思い出していきたいと願います。思い出すことで、『さらば愛の火は、内にぞ燃えん(讃美歌529)』と。そこから物語は、十字架の愛へと進んでいきます。