生きている

聖書: ルカによる福音書 20章 34節~40節

2018年5月20日(日): 聖霊降臨節第1主日礼拝、ペンテコステ礼拝説教

 サドカイ派の人々は、あるやもめの話を持ち出して、復活を否定しようとしました。「復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです(20:33)」。しかし、天にある目に見えないものを、世にある目に見えるもので図ることはできません。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか(マルコ12:24)」。
 「この人たちは/天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである(20:36)」。天使は、神の近くに仕えるものです。こうして、わたしたちは、神の近くに招かれて、神を礼拝するものとされます。また、わたしたちは、新しい命に与って、新しい家族とされます。だから、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ(20:38)」。
 モーセは、燃え尽きない柴から、神の声を聞きました(出エジプト3:1-6参照)。「わたしは/アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である(出エジプト3:6)」。今でも、彼らと共に『ある』と言われました。ここに、愛する人の名前を入れて読むと、この言葉の恵み深さが分かります。「すべての人は、神によって生きているからである(20:38)」。
 人は、神の霊によって、初めて生きる者とされました(創世記2:7参照)。弟子たちは、神の霊によって、初めて語る者とされました(使徒2:4参照)。すべては、神の霊によって、生かされています。見えるものが、すべてではありません。「霊よ、四方から吹き来れ(エゼキエル37:9)」。わたしたちに、見えないものを信じる力がありますように。