見せかけの

聖書: ルカによる福音書 20章 27節~33節、45節~47節

2018年5月13日(日): 復活節第7主日礼拝説教

 「サドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた(20:27)」。彼らは、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)だけを信じていました。そこには、復活についての記述がありません。そこで、ある女の話を持ち出して、復活を否定しようと考えました。
 七人の夫と結婚し、子を残さないまま、「最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです(20:32-33)」。ただ、ここには、その人に対する祈りも愛も感じられません。それは、見せかけの賢さに過ぎないからです。
 あなたがたは、「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む(20:46)」。それは、見せかけの誉れに過ぎません。そして、「見せかけの長い祈りをする(20:47)」。それは、見せかけの救いに過ぎません。
 「律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ(11:46)」。神の救いは、人を図る物差しではありません。このように言う者たちは、「人一倍厳しい裁きを受けることになる(20:47)」。
 真実の救いに、本当の豊かさがあります。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ/わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました(ローマ5:6,8)」。