信徒の証し

聖書: コヘレトの言葉 3章 11節

2018年4月15日(日): 復活節第3主日礼拝立証

 隣人を愛するとは単にその人を好きに思うだけでなく、その人をよく理解し大切にするという行為を伴うことが大事ではないでしょうか。しかし、自分自身を振り返ると、なかなかうまく実践できていません。その人のことを思いながらも、何もできなかったり、逆に傷つけてしまったり、助けるのが遅すぎたり、そんなことばかりです。共愛幼稚園時代、友達になろうとしてもどうしても受け入れてくれなかったAくんは、いま幸せにしているだろうか。小学校時代、からかい半分でひどいことを言って泣かせてしまったTくんは、何十年もたった今でも心に傷が残っているのではないだろうか。社会人になってからも、眼の前の人のつらい気持ちや状況をわからないまま思いだけが空回り、ということがよくありました。クリスチャンとして「隣人を愛する」という最も大事な「掟」を守れないことが多かったなあ、と還暦近くになって、ため息交じりに思うのです。人を愛し大切にする。それには、相手の気持ちや状況をよく理解し適切に支える、知恵と行動力が必要だと思います。
 「神様は、人が子どもを望んで作り、生きることの幸せをその子どもに感じて欲しいと思うのと同じように、人間を作られた。だから人は幸せにならなければならない。それが人が生きる目的」。
 神様からみれば、自分も、隣人も、同じようにいとおしい子どもです。だから私たちはお互いを神様の子として尊重して、大切にし、支えあって幸せにならなければならないのですね。人はみな、幸せになるために生きている。そのためにきょうも祈りたいと思います。「神様、どうか私たちがお互いをよく理解し、よく支えあうことができますように。そしてみんなが幸せになりますように」。(証し:井手田篤兄)