わたしの家

聖書: ルカによる福音書 19章 45節~48節

2018年4月1日(日): 復活節第1主日礼拝、イースター礼拝説教

 両親は、少年イエスを見失いました。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか(2:49)」。20年後、婦人たちは、主イエスを見失いました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ(24:5-6)」。わたしはここにいる、何の心配もありません。
 その都で、「イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始め(19:45)」ました。それは、ヘロデ大王が46年をかけて建設した神殿です。当時の祭司長は、さらに見栄えをよくするために、神殿内で商売をすることを許可しました。その様子に、主イエスは、涙を浮かべました。「あなたたちはそれを強盗の巣にした(19:46)」。
 息苦しさの中で、真実の言葉を聞く力が奪われていきます。孤独の中で、見えないものを信じる力が奪われていきます。だから、「わたしの家は、祈りの家でなければならない(19:46)」。わたしたちにとって、祈りとは、まさに深呼吸です。深呼吸をすることで、大切な言葉を思い出します。
 わたしはここにいる、何の心配もありませんよ。主イエスは、復活されました。息苦しさを感じる日々に、この方が、わたしたちのマイホームとなってくださいました。主イエスは、生きて共におられます。孤独を感じる日々に、わたしたちは、この方を、祈りのうちに確かめたいと願います。
 『こがねの城を、経めぐるとも、わが家にまさる、住まいはなし。ああ、わが家よ。みめぐみつきぬ、愛の園よ(讃美歌第二編147番)』。