迫害の手を

聖書: 使徒言行録 12章 1節~5節

2019年12月22日(日): 待降節第4主日礼拝、クリスマス礼拝説教

 「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した(12:1-2)」。彼の祖父に当たるヘロデ大王も、御子の誕生を知り、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させ(マタイ2:16)」ました。『迫害(ギリシャ語:カコウ)』という言葉には、『乱用』という意味があります。命の軽視は、権力の乱用から生じるものです。
 「ユダヤ人に喜ばれるのを見て/ペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった(12:3)」。祭りを利用したパフォーマンスです。ただそれに追従する者の何と多いことでしょうか。ヘロデが演説すると、人々はこぞって、「神の声だ。人間の声ではない(12:22)」と叫びました。しかし、「天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである(12:23)」。
 御子の誕生は、神に栄光を帰さない者たちにとって、全く嬉しいものではありませんでした。権力の乱用によって今も虐げられている人々、迫害の手によって今も罵られて人々を思うと、この世の暗きを思わずにおれません。『朝日は昇りて、世を照らせり(讃美歌268番)』。世界の片隅にこそ、クリスマスの喜びがありますように。
 わたしたちは、へつらって見せかけの声に追従するのか、へりくだって神の声に聴くのか。または、思い上がって大きな声で抑えつけるのか、驕らず小さな声と共に歩むのか。御子の誕生に、わたしたちは、恐れず後者でありたいと願います。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし/身分の低い者を高く上げ(ルカ1:51-52)」てくださいます。